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 ■ 著作権が認められる要件である、「創作性」とは?  .



【概要】

「子供のラクガキでも著作権が認められる」との回答がある一方で、プロが、職業的に、多大な労力と費用をかけても、この「創作性」の要件を欠くとして、著作権が認められないことがあります。

これは、「労力」にではなく、「創作」に保護を与えるとの著作権法の大原則(「額に汗」の法理)に基づくものです。その代表的な例が、最近では、「(ネット新聞)記事の見出し」にかかる紛争・読売オンライン事件(知財高裁平成17年10月06日判決)です。この訴訟の中で、「記事見出しにも著作権がある」との読売側の主張は、全面的に退けられています。

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≪子供の落書きにも著作権?≫

「子供のラクガキでも著作権が認められる」とか、「他人の作品をそのまま使うのは著作権侵害だ」といった話は、ネットで「著作権」と検索ワードを入れて調べれば、すぐに見かける解説です。しかし、この解説は必ずしも正しくはなく、むしろ、著作者というよりも、その権利管理団体である業界団体の強い意向に基づいた標語(スローガン)のようなところがあります。

実際、著作権がらみの裁判例を見れば分かりますが、どのような作品にも著作権があると言わんばかりの主張をしていると、「その表現はありふれている」「特段の創作性は認められない」などとして、そもそも著作権侵害が認められないと足をすくわれている事例がよくあります。


Q&Aでの回答で掲げた「読売オンライン事件・控訴審」(なお、一審)では、記事見出しの著作権が問題となりましたが、裁判所は、「いずれも事実関係を客観的にありふれた表現で構成したものであり、見出しに対応するYOL記事本文との関係をも考慮しつつ検討するとしても、これらのYOL見出しの表現に創作性があるとは到底いえない」との判断をくだしています。

また、多大な労力や費用の点に関しても、「YOL見出しの性質や作成過程等について控訴人〔読売側〕が種々主張するところを考慮しても、控訴人作成のYOL見出しについて一般的に著作物性が認められると断ずることはできない(後に判示するように、控訴人が多大の労力、費用をかけて取材し、記事を作成し、YOL見出しの作成に至っているからといって、そのことゆえに、当然にすべてのYOL見出しの作成に創作性があると言うべきことにはならない。)」と判示しています。


このように、「子供のラクガキでも著作権が認められる」との意味を、「どのような作品であっても著作権が認められる」という趣旨で理解することは間違いですので、気をつけてください。

しかし、他方で、「著作権が認められるためには(即ち、創作性があると認められるには)、芸術作品のように高度な表現性が求められている」かといえば、それも間違いです。むしろ、「子供のラクガキにも著作権が認められる」というのは、このような意味での芸術性が不要であるとの意味で理解されるべき標語なのです。



≪創作性とは?≫

それでは、「創作性」とは何なのでしょうか?

それは(大まかなイメージで言えば)、ある表現をするのに、多様な選択が可能であるにもかかわらず、ある特定の方法を選んで、作品を製作したこと、です。それゆえ、「ある表現をするのに、多様な選択ができない場合」は、限られた方法しか選べないので、著作権が否定されることが多いのです。なぜならば、その限られた選択方法で製作された作品は、その作品を製作しようと思った動機、アイデアそのものと一体となっているからです。ここに、裁判所が、「その表現はありふれている」として著作権を否定する理由があるのです。

先ほどの、「子供のラクガキにも著作権がある」というのも、「絵の上手下手と、著作権(創作性)とは無関係である」ことを意味しているのです。やや観点は異なりますが、モナリザの模写があれほど高度なものであるにもかかわらず、模写をした美大生には固有の著作権が発生しないことを思い浮かべてもらえれば、そのイメージがつかみやすいかもしれません。


他方で、「ある表現をするには、ほぼ特定の方法に限られる」というような場合でも、「創作性」が認められる場合もあります。それは、表現の対象となっている思想・感情などの実質面が創作性に富むような場合です。

これについては、作花文雄の参考図書が分かりやすく書かれているので、是非とも一読してもらえればと思いますが、それによると、「保護の対象とはならない『ありふれた表現』とは、文章表現など表現の方法自体もありふれたものであると同時に、その表現物に内在する思想・感情、あるいは表現されている内容、実質面もありふれたものであり、当該表現物を総じて見て、当該作者の個性や独自性の存在が認められないもの」をいう、とまとめられています(作花文雄『著作権講座』281頁)。

ただ、このようにして認められた作品が、他の類似する作品に対して著作権を侵害していると主張できるかについては、別の考慮が必要です(例えば、翻案に関して、舞台装置事件を参照)。



なお、読売オンライン事件では、ニュース記事の見出しであることが少なからず著作権を否定する理由に関係しています(後記引用を参照)。また、著作権に関する主張等は退けられていますが、多大な労力をかけたものをただ乗り(フリーライド)して実質的に競業サービスを提供している点について、不法行為が認定され、(約6800万円の請求、訴額の総額では4億円超の請求に対して)月額1万円で総額23万7741円の請求が認められています。

更に、立証責任について、「著作権侵害に基づく差止請求や損害賠償請求をするためには,請求する側において,侵害された著作物を特定した上,著作物として保護されるための創作性の要件を具備することを主張立証することが必要であり,特に,本件では,被控訴人が上記期間におけるYOL見出しの著作物性を否認しているのであるから,控訴人としては,上記期間における個々のYOL見出しについて,YOL見出しの表現を具体的に特定し,それに創作性があることを主張立証すべきである」と判示しています。





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 ■ArchiveSelection   参考資料 .   


◆ 「読売オンライン事件」 .
〔裁判〕(知財高裁平成17年10月06日判決 平成17(ネ)10049


*【記事見出しの著作物性に関して】

一般に,ニュース報道における記事見出しは,報道対象となる出来事等の内容を簡潔な表現で正確に読者に伝えるという性質から導かれる制約があるほか,使用し得る字数にもおのずと限界があることなどにも起因して,表現の選択の幅は広いとはいい難く,創作性を発揮する余地が比較的少ないことは否定し難いところであり,著作物性が肯定されることは必ずしも容易ではないものと考えられる。

しかし,ニュース報道における記事見出しであるからといって,直ちにすべてが著作権法10条2項に該当して著作物性が否定されるものと即断すべきものではなく,その表現いかんでは,創作性を肯定し得る余地もないではないのであって,結局は,各記事見出しの表現を個別具体的に検討して,創作的表現であるといえるか否かを判断すべきものである。

そして,甲1(各枝番号のものを含む)によれば,上記365個のYOL見出しは,いずれも事件,事故等の社会的出来事,あるいは政治的・経済的出来事等を報道するニュース記事に付されたインターネットウェブサイト上の記事見出しであり,後記のような若干の特殊性はあるものの,以上説示の点は,本件YOL見出しにも基本的に当てはまるものである。



*【不法行為に関して】

価値のある情報は,何らの労力を要することなく当然のようにインターネット上に存在するものでないことはいうまでもないところであって,情報を収集・処理し,これをインターネット上に開示する者がいるからこそ,インターネット上に大量の情報が存在し得るのである。そして,ニュース報道における情報は,控訴人ら報道機関による多大の労力,費用をかけた取材,原稿作成,編集,見出し作成などの一連の日々の活動があるからこそ,インターネット上の有用な情報となり得るものである。

そこで,検討するに,前認定の事実,とりわけ,本件YOL見出しは,控訴人の多大の労力,費用をかけた報道機関としての一連の活動が結実したものといえること,著作権法による保護の下にあるとまでは認められないものの,相応の苦労・工夫により作成されたものであって,簡潔な表現により,それ自体から報道される事件等のニュースの概要について一応の理解ができるようになっていること,YOL見出しのみでも有料での取引対象とされるなど独立した価値を有するものとして扱われている実情があることなどに照らせば,YOL見出しは,法的保護に値する利益となり得るものというべきである。一方,前認定の事実によれば,被控訴人は,控訴人に無断で,営利の目的をもって,かつ,反復継続して,しかも,YOL見出しが作成されて間もないいわば情報の鮮度が高い時期に,YOL見出し及びYOL記事に依拠して,特段の労力を要することもなくこれらをデッドコピーないし実質的にデッドコピーしてLTリンク見出しを作成し,これらを自らのホームページ上のLT表示部分のみならず,2万サイト程度にも及ぶ設置登録ユーザのホームページ上のLT表示部分に表示させるなど,実質的にLTリンク見出しを配信しているものであって,このようなライントピックスサービスが控訴人のYOL見出しに関する業務と競合する面があることも否定できないものである。

そうすると,被控訴人のライントピックスサービスとしての一連の行為は,社会的に許容される限度を越えたものであって,控訴人の法的保護に値する利益を違法に侵害したものとして不法行為を構成するものというべきである。




◆ 「創作性」について .
〔参考〕(作花文雄 『著作権講座(2版)』)


「個性に基づく表現」と「個性的な文章表現」とは本質的に異なるものです。

個性的な文章表現がなされていなくても、つまり、当該部分の文字面(表現方法)は平凡であっても、著者の精神活動の成果が凝縮され、精選された言葉で表現されている場合もあり得ます。仮に著作権制度が、実質が不在の文字面のみ飾った表現について高い創作性を認め、実質のある簡明かつ洗練された表現について、「ありふれた表現」であるとして、およそ創作性を認めないという制度であるならば、少なくとも言語の著作物の保護法制としては、その制度の存立趣旨や存在意義が問われることとなり得ます。(276−277頁)


確かに、著作権法の著作物の定義は「思想・感情を創作的に表現したもの」であり、規定上、「表現」自体に創作性が必要とされています。しかし、この表現上の創作性は、著作物の種類に応じて捉えられる必要があるものの、言語の著作物の場合であれば、当該文章のレトリック、、文字面上の個性(個性的な表現)のみに着目して評価されるべきものではありません。つまり、当該文章の文字面上の個性こそが創作性の認定基準であるというのであれば、通常は用いないような奇をてらった言葉や徒(いたずら)に難解な言い回しなどを駆使したもの(見ようによっては創作性があるというよりも、悪文であったり、著者の思考が未整理であるようなもの)こそが創作的な表現であるということにもなりかねません。

  (中略)

・・・学術の分野における創作物はは、論者の学術研究の成果であり、当該成果を世に広く伝達するため、むしろ一般的な表現、あるいは簡明な表現をすることこそ重要と思われ、また、複雑な事柄を簡明に表現することは、その論者の専門性や思考力、分析力、表現力などが問われます。できあがったものをみれば「ありふれた表現」と思われるものであっても、他の者が白地から独自に創作しようとしても、容易には同様のものが創作できない場合も少なくありません。

また、このようなことは、学術の分野に限らず、例えば、ノン・フィクションの分野やジャーナリズムの分野の創作物についても、文章表現自体が一般的、標準的なありふれたものであったとしても、当該表現を創作するためには相応の力量が求められます。

不必要な美辞麗句や難解な語句等を用いた表現、あるいは論理性が不明な論述のようなものが、個性が反映されている創作的な表現であるとして保護の対象となり、洗練された簡明な論述が非創作的な表現、あるいは非個性的な表現であり、保護対象ではないとするかのような判断基準は、いかにも不合理であると考えられます。

したがって、著作権法が保護対象とする「創作的に表現したもの」とは、当該表現の表層、つまり、言語の著作物であれば、レトリック、文字面上の創意工夫に限定して創作性を評価することを意味するものではなく、表現されている実質面にも着目して、「表現物としての創作性」について評価されるべきものと考えられます。換言すれば、創作性とは、文章表現上の文字面の個性のみを意味するのではなく、当該「表現物」に創作者独自の新たな精神活動の成果が表されているものと捉えるべきであり、文字面上の記述ぶりとしては一般的、標準的な文章であっても、そのことの故に直ちに当該表現の創作性が否定されるべきものではありません。(278−279頁)


つまり、思想・感情とその表現は本来的に截然(せつぜん)と分離し得るものではありませんが(一般的に言えば、当該表現物におけるより根源的・抽象的な次元の思想・感情の段階からより表面的・具体的な次元の思想・感情の段階になるに従い、思想・感情と表現との密度が高まる)、便宜的に述べるとすれば、保護の対象とはならない「ありふれた表現」とは、文章表現など表現の方法自体もありふれたものであると同時に、その表現物に内在する思想・感情、あるいは表現されている内容、実質面もありふれたものであり、当該表現物を総じて見て、当該作者の個性や独自性の存在が認められないものです。逆を言えば、思想・感情自体が創作性のあるものであれば、それを特別なレトリックを用いることなく一般的な表現方法により表現しても、当該表現物は「ありふれた表現」ではなく、「創作性のある『思想・感情の表現物』」になり得る可能性があります。(281頁)




◆ 「翻案」に関して 「舞台装置事件」 .
〔裁判〕(東京高判平成12年9月19日判時1745号128頁


・・・なお、ここで注意すべきことは、複製・翻案の判断基準の一つとしての類似性の要件として取り上げる「当該作品から既存の著作物を直接感得できる程度に」との要件(直接感得性)は、類似性を認めるために必要ではあり得ても、それがあれば類似性を認めるに十分なものというわけではないことである。

すなわち、ある作品に接した者が当該作品から既存の著作物を直接感得できるか否かは、表現されたもの同士を比較した場合の共通性以外の要素によっても大きく左右され得るものであり

(例えば、表現された思想又は感情あるいはそれを表現する手法や表現を生み出す本になったアイデア自体が目新しいものであり、それを表現した者あるいはそれを採用した者が一人である状態が生まれると、表現されたものよりも、目新しい思想又は感情あるいは手法やアイデアの方が往々にして注目され易いから、後に同じ思想又は感情を表現し、あるいは同じ手法やアイデアを採用した他の者の作品は、既存の作品を直接感得させ易くなるであろうし、逆に、表現された思想又は感情あるいはそれを表現する手法や表現を生み出す本になったアイデア自体がありふれたものであり、それを表現した者あるいはそれを採用した者が多数いる状態の下では、思想又は感情あるいはアイデアが注目されることはないから、後に同じ思想又は感情を表現し、あるいは同じ手法やアイデアを採用した他の者の作品が現われても、そのことだけから直ちに既存の作品を直接感得させることは少ないであろう。)、

必ずしも常に、類似性の判断基準として有効に機能することにはならないからである。


著作権法による保護を、このようなものとして把握する場合、特許法、実用新案法が思想(技術的思想)までを保護する(特許法二条、実用新案法二条参照)のとは異なり、思想や感情あるいはそれを表現する手法や表現を生み出すアイデアが保護されることはなく、その結果、著作権法による保護の範囲が、見方によれば狭いものとなることがあることは事実であろう。

しかしながら、それは、著作権法の趣旨から当然のことというべきである。すなわち、著作権法においては、手続的要件としても、特許法、実用新案法におけるような権利取得のための厳密な手続も権利範囲を公示する制度もなく、実体的な権利取得の要件についても、新規性、進歩性といったものは要求されておらず、さらには、第三者が異議を申し立てる手続も保障されておらず、表現されたものに創作性がありさえすれば、極めてと表現することの許されるほどに長い期間にわたって存続する権利を、容易に取得することができるのであり、しかもこの権利には、対世的効果が与えられるのであるから、不可避となる公益あるいは第三者の利益との調整の観点から、おのずと著作権の保護範囲は限定されたものとならざるを得ないからである。

換言すれば、著作権という権利が右のようなものである以上、これによる保護は、それにふさわしいものに対してそれにふさわしい範囲においてのみ認められるべきことになるのである。

それゆえにこそ、著作権法は、「表現したもの」のみを保護することにしたものと解すべきであり、前述のとおり、著作者の思想又は感情を創作的に表現したものと同一のものを作製すること、あるいは、これと類似性のあるもの、すなわち、著作者の思想又は感情を創作的に表現したものとしての独自の創作性の認められる部分についての表現が共通し、その結果として、当該作品から既存の著作物を直接感得できる程度に類似したものを作製することのみが複製・翻案となり得るのである。






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